ミュージシャンのライブに出かけていると、演奏と並んで楽しみなのがMC。
MCでは、ミュージシャンの方が最近あったことや思ったことなどを、自分たちの言葉でファンの方、来場者の方に話しかけていきます。
ところが、このシチュエーションにおいて、少し気になることがあります。
それは、「過度に政治的な主張をされること」。そしてそれは、ライブのMCに限らず、楽曲の歌詞からSNSでの発言まで、さまざまなところで目に・耳にすることになります。
これについて、少し、考えることにしました。
- ミュージシャンが過度な政治的主張をすることに違和感がある
- 政治・政策については音楽と切り離して議論したい
- ミュージシャンの政治的発言が批判される理由を考察したい
- 「ミュージシャンが政治的発言をして何が悪い!」と思っている

もくじ
ミュージシャンの政治的主張・発言
これまでから、ミュージシャンが政治的な発言・言動を行うことは、著名な方も含めて、割とよく見られる光景であったように思います。
最近の議論で言うと、サザンオールスターズのが政治的な風刺を聞いたライブパフォーマンスを行って物議をかもしたり、RADWINPSが政治的な歌詞を発表して謝罪したり、はたまた「反原発」というメッセージを込めたライブが行われたり…
もちろん、ミュージシャンの皆さんも、ミュージシャンである前に一人の国民であり、そうした言論の自由は、当然に保障されているべきものです。
それを大前提とした上で、以下の議論に進みます。
政治・政策はロジカルなもの
言うまでもないことではあるのでしょうが、政治の世界で語られている個別の政策や施策、事業などは、過去の歴史を踏まえた議論や利害関係者との調整、さらにはさまざまな技術的な論点整理を経ながら、ブラッシュアップされてきているもの。
何が言いたいかというと、「政治・政策は、ロジカルに議論されるべきもの」ということ。
たとえば、「社会保障を持続可能なものにするため、という大義名分のもとに行われる消費増税」という、政治的に賛否が分かれやすい政策を例にとって見ると、そこには
- そもそも増税は必要なのか、先にムダを減らすことが必要ではないか
- 増税はやむを得ないとして、なぜ消費税なのか、他の税はないのか
- 消費増税を行うと消費が冷え込み、逆に税収も減るのではないか
- 消費増税の使途は正しいのか、幼児教育や大学の無償化に充てるのは良いのか
- 軽減税率は必要なのか、必要だとして中小企業や個人事業主の会計・税務実務的に耐えられるのか
という、きわめて実務的な論点が浮き上がってきます。
本来、こういった実務的な議論をすることなく、消費増税の賛否というのは表明できないはずなのです。
ところが、音楽の世界に行くと、こういった議論をすっ飛ばして、ある種感覚的に、国民生活や経済情勢、国際情勢に大きな影響を与える問題について、適当に主義主張を並べることが許容されてしまいます。
上記の例では、ブログ読者間でのハレーションを避けるために、政策的議論の中でもイデオロギー問題になりにくい「消費増税」を取り上げましたが、同じことは「原発」「憲法改正」「沖縄基地問題」といった、センシティブなテーマでも言えます。
これらも本来、実務的にロジカルに、丁寧な議論をしながら自分の主張を組み立てていくべきもの。
決して、音楽に乗せながら、感覚的に議論をしていい類のものではありません。
音楽の世界から「現実」に引き戻される無粋さ
私も、音楽を愛する者の一人ではありますが、同時に社会人として日々仕事をし、さまざまな人と出会い、さまざまな社会的課題に直面する中で、自分なりに政治・政策に対しての考えや、思いを持っています。(それが何かについては、本ブログのテーマではありませんので、ここでは一切語りません)
そう、皆さんだって、きっと同じはず。
なので、政治的な話をするときには、「他の人は自分の考えとは異なるかもしれない」ということを前提にしつつ、自分なりに整理した考えに基づき、「賛成はされないかもしれないけど、せめて考え方だけでも伝わるように」と、ロジカルに話すようにしているつもりです。
ところが、音楽業界で政治的な話をする人たちというのは、基礎的な素養を身につけていたり、ロジカルに考えたりすることはなしに、感覚的に語り、聴衆に同意を求めてきます。
私はこれに、ものすごい違和感を覚えます。たとえその主張が自らの考えと結果として一致していたとしても、です。
それは「本来ロジカルに議論すべき案件を、音楽という全く別分野のフィールドで感覚的に処理していることへの違和感」に他ならないのですが、いったんこの違和感を覚えてしまうと、もはや音楽が音楽として聞こえてこなくなり、ミュージシャンが「音楽を悪用して自らの主張で扇動しようとしている、たちの悪いアジテーター」に見えてきてしまうのです。
せっかく素晴らしい音楽を奏でてくれていても、政治的なメッセージがこもっているせいで、音楽として聞こえなくなってしまう…。そして、音楽が音楽として聞こえなくなると、急に現実に引き戻されたような気分になります。
これは、大変に残念なことです。
音楽は政治活動の手段ではない。政治・政策は知識と理論で語るべき
私が今回、このようなブログ記事を書いたのは、某ミュージシャンの素晴らしい音楽活動がメディアやSNSを賑わしたので、当該ミュージシャンのSNSを覗きにいったところ、政治的に過度に偏ったメッセージでTLが埋め尽くされており、急に気持ちが冷めてしまった…という出来事を最近経験したのが、きっかけです。
そして、当該ミュージシャンが語っている政治的メッセージは、残念ながらロジカルに練り込まれたものではなく、特定のメディアの情報をそのまま受け売っているようなレベルであったことが、私の心のクーラーの設定温度を、ますます下げていきました。
「あんなに素敵な音楽活動をしているのに…」
私は本当に、本当に、がっかりしました。
冒頭にも申し上げましたが、私は別にミュージシャンが政治的な思想を持つな、と言っているわけではありません。
ただ、政治的な思想は、対立軸を生み出してしまう上、その対立も政策的に議論をすることで解決すべきものであることから、そこにいる聴衆は、心情的に、音楽からどうしても離れてしまうのです。
政治は、音楽の中で語るべきものではありません。
あくまで政治的な問題は、知識と理論に基づき、さまざまな利害関係者の意見を尊重することを基本に、丁寧に議論すべきもの。しかし、それは現実問題としては非常に難しく、感情的な対立を生み出しがちだから「初対面の人と政治の話はしない」というのがビジネスマナーになっているのです。
昨今、政治的・政策的な議論は、社会情勢の変化の中で、どんどん複雑化・多様化してきており、簡単に議論することができなくなってします。
そうした状況のもと、多くの社会人が、自分の人生の中で、さまざまな現実に直面する中で、一人ひとりが自分なりの政治的理念を確立しています。そうした中で、音楽を通じて政治的なメッセージを強要するのは、政治思想の内容にかかわらず、メッセージの伝え方として、そして政治的議論の熟度を高める手法として、著しく不適切だと思います。
プロ・アマ問わず、どうか音楽の世界に、政治を持ち込まないでいただければ…と願わずにはいられません。

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